事故対応と苦情対応は、どちらも「起きてから考える」では間に合わない領域です。しかも国の基準省令が定めていることと都道府県ごとに決まること、そしてそもそも法令上の義務ではないことが混在しているため、実務では線引きが曖昧になりがちです。
本記事は指定基準省令(平成18年厚生労働省令第171号)と社会福祉法の条文を軸に、この3つを分けて整理します。
| 事故 | 苦情 | |
|---|---|---|
| 根拠 | 基準省令 第40条 | 基準省令 第39条+社会福祉法 第82条 |
| 事前の備え | (条文に委員会・指針の定めなし) | 窓口の設置等の必要な措置 |
| 発生時 | 都道府県・市町村・家族等への連絡+必要な措置 | 内容等の記録 |
| 記録 | 状況と採った処置を記録 | 苦情の内容等を記録 |
| 保存 | 提供した日から5年間(記録の整備) | 同左 |
| 外部機関 | 指定権者(自治体の要綱で様式・期限が決まる) | 運営適正化委員会(社会福祉法) |
事故発生時の対応(基準省令 第40条)#
条文が求めているのは3つです1。
- 事故が発生した場合は、都道府県、市町村、当該利用者の家族等に連絡を行うとともに、必要な措置を講じなければならない
- 前項の事故の状況及び事故に際して採った処置について、記録しなければならない
- 賠償すべき事故が発生した場合は、損害賠償を速やかに行わなければならない
「連絡」の具体は自治体が決める#
第40条は「連絡を行う」としか定めていません。報告様式・報告対象となる事故の範囲・報告期限は、各都道府県等が定める要綱・標準例(「事故等発生時の報告取扱い(標準例)」「報告取扱要領(準則例)」等)で決まります。
したがって実務では、自事業所の指定権者が公表している事故報告の取扱いを確認し、その様式に従うことが出発点になります。国の統一様式があるわけではないため、他県の様式や一般的な解説記事をそのまま使うことはできません。
記録は5年間保存#
事故の状況及び採った処置の記録は、「記録の整備」で5年間保存が求められる6分類のひとつです。起算点はサービスを提供した日からです2。詳しくは障害福祉の記録|サービス提供記録と実績記録票の違いを参照してください。
ヒヤリハットは法令上の義務ではない#
ここは誤解が多い点です。指定基準省令にヒヤリハットの語は一度も登場しません(第40条が定めるのは「事故が発生した場合」の対応です)。
つまり、ヒヤリハット記録は条文上の義務ではなく、事故を防ぐための任意の取り組みです。「ヒヤリハットの記録が義務化されている」という説明は条文の裏付けを欠きます。
とはいえ実務上の価値は別問題です。運営指導では事故防止の体制が確認されますし、身体拘束等の適正化のための委員会(後述)や虐待防止委員会で共有・分析する材料としても機能します。義務ではないが有効な取り組み、という位置づけで整理しておくのが正確です。
苦情解決(基準省令 第39条)#
第39条は7項からなり、事業者に次を求めています3。
事前の備え=窓口の設置等#
提供したサービスに関する利用者又はその家族からの苦情に迅速かつ適切に対応するために、苦情を受け付けるための窓口を設置する等の必要な措置を講じなければなりません。
これは苦情の有無にかかわらず必要な体制整備です。「今年度は苦情がゼロだったので何もしていない」は要件を満たしません。
受け付けたら記録#
苦情を受け付けた場合には、当該苦情の内容等を記録しなければなりません。この記録も5年間保存の6分類のひとつです2。
行政の調査への協力と改善#
第39条は、行政が行う調査等への協力も義務づけています。
| 主体 | 根拠 | 事業者に求められること |
|---|---|---|
| 市町村 | 法第10条第1項 | 報告・文書等の提出/提示の命令、職員の質問、設備・帳簿書類等の検査に応じる。利用者・家族からの苦情に関する調査に協力する。指導・助言を受けた場合はそれに従って必要な改善を行う |
| 都道府県知事(指定都市は市長) | 法第11条第2項 | 報告、サービス提供の記録・帳簿書類等の提出/提示の命令、職員の質問に応じる。同上 |
| 都道府県知事又は市町村長 | 法第48条第1項 | 報告・帳簿書類等の提出/提示の命令、質問、設備・帳簿書類等の検査に応じる。同上 |
さらに、都道府県知事・市町村・市町村長から求めがあった場合には、改善の内容を報告しなければなりません3。
運営適正化委員会への協力#
事業者は、社会福祉法第83条に規定する運営適正化委員会が同法第85条の規定により行う調査又はあっせんに、できる限り協力しなければなりません3。
社会福祉法から見た苦情解決#
基準省令とは別に、社会福祉法にも苦情解決の枠組みがあります。
事業者の努力義務(第82条)#
社会福祉事業の経営者は、常に、その提供する福祉サービスについて、利用者等からの苦情の適切な解決に努めなければならないとされています4。
運営適正化委員会(第83条・第85条・第86条)#
| 条 | 内容 |
|---|---|
| 第83条 | 都道府県の区域内において、福祉サービスに関する利用者等からの苦情を適切に解決するため、都道府県社会福祉協議会に運営適正化委員会を置く。人格が高潔で社会福祉に関する識見を有し、かつ社会福祉・法律・医療に関し学識経験を有する者で構成される5 |
| 第85条 | 苦情について解決の申出があったときは、相談に応じ、申出人に必要な助言をし、事情を調査する。申出人と当該サービスを提供した者の同意を得て、苦情の解決のあっせんを行うことができる6 |
| 第86条 | 苦情の解決に当たり、利用者の処遇につき不当な行為が行われているおそれがあると認めるときは、都道府県知事に対し速やかに通知しなければならない7 |
第86条があるため、苦情対応の不備は「当事者間の問題」に留まらず、行政の把握につながる経路が制度上用意されている点は押さえておく必要があります。
就労系サービスへの適用#
第39条・第40条は居宅介護について定められた規定ですが、就労系の各サービスに準用されています8。
| サービス | 準用の根拠 |
|---|---|
| 就労選択支援 | 第173条の9(第35条の2から第41条までを準用) |
| 就労移行支援 | 第184条(同上) |
| 就労継続支援A型 | 第197条(同上) |
| 就労継続支援B型 | 第202条(同上) |
| 就労定着支援 | 第206条の12(第36条から第41条までを準用) |
運営規程・掲示・重要事項説明との関係#
ここは「不在の事実」を押さえておくと誤りません。
運営規程の記載事項に「苦情解決」は無い#
運営規程に定めるべき事項は条文に列挙されており、「虐待の防止のための措置に関する事項」は含まれますが、苦情解決に関する事項は列挙されていません9。ただし「その他運営に関する重要事項」があるため、記載すること自体は妨げられません。指定権者が独自に記載を求める場合があるため、指定申請時に確認してください。
なお運営規程の記載事項には、事故対応と関係の深い**「緊急時等における対応方法」と「非常災害対策」**が含まれます9。
掲示義務#
事業所の見やすい場所に、運営規程の概要、従業者の勤務の体制、協力医療機関その他の利用申込者のサービスの選択に資すると認められる重要事項を掲示しなければなりません。これらを記載した書面を事業所に備え付け、いつでも関係者に自由に閲覧させることで掲示に代えることもできます10。
重要事項説明書#
利用申込みがあったときは、障害の特性に応じた適切な配慮をしつつ、運営規程の概要・従業者の勤務体制その他の重要事項を記した文書を交付して説明し、提供開始について同意を得なければなりません11。苦情の相談窓口は「サービスの選択に資すると認められる重要事項」として記載するのが一般的です。
よくある質問#
Q. ヒヤリハット記録は作らないと運営指導で指摘されますか?#
指定基準省令にヒヤリハットの規定はありません。条文上の義務として記録が求められているのは**「事故が発生した場合」の状況及び採った処置**です1。ただし事故防止の体制は確認対象になり得るため、任意の取り組みとして整備する意義はあります。
Q. 事故が起きたら何日以内に報告すればよいですか?#
基準省令は「連絡を行う」とのみ定めており、期限・様式・報告対象の範囲は各都道府県等の要綱で決まります。自事業所の指定権者が公表している取扱いを確認してください。
Q. 苦情が一件もない年度でも、何か必要ですか?#
必要です。苦情を受け付けるための窓口を設置する等の必要な措置は、苦情の有無にかかわらず講じておく義務です3。記録の義務は「受け付けた場合」に発生します。
Q. 苦情対応の記録は何年保存しますか?#
サービスを提供した日から5年間です。苦情の内容等の記録は「記録の整備」で列挙された6分類のひとつです2。
Q. 運営適正化委員会から調査の連絡が来たら応じる必要がありますか?#
事業者は、運営適正化委員会が社会福祉法第85条により行う調査又はあっせんにできる限り協力しなければならないとされています3。なお委員会は、利用者の処遇につき不当な行為が行われているおそれがあると認めるときは都道府県知事に速やかに通知します7。
Q. 利用者に損害が生じた場合の賠償は?#
賠償すべき事故が発生した場合は、損害賠償を速やかに行わなければならないと定められています1。
Q. 苦情解決は運営規程に書く必要がありますか?#
条文の列挙事項には含まれていません9。ただし「その他運営に関する重要事項」として記載でき、指定権者が記載を求める場合もあるため、指定申請時に確認してください。
関連記事#
- 障害福祉の記録|サービス提供記録と実績記録票の違い・5年保存6分類を条文で整理
- 虐待防止措置未実施減算を防ぐ社内体制構築
- 身体拘束廃止未実施減算と適正化検討委員会の運営
- 運営指導(実地指導)の流れと準備
- 監査で指摘されやすいポイントと対策
- 重要事項説明書の作成と運用
Footnotes#
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指定障害福祉サービスの事業等の人員、設備及び運営に関する基準(平成18年厚生労働省令第171号)第40条(事故発生時の対応)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩ ↩2 ↩3
-
同令 第75条(記録の整備)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩ ↩2 ↩3
-
同令 第39条(苦情解決)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
-
社会福祉法(昭和26年法律第45号)第82条(社会福祉事業の経営者による苦情の解決)https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC0000000045 ↩
-
同法 第83条(運営適正化委員会)https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC0000000045 ↩
-
同法 第85条(運営適正化委員会の行う苦情の解決のための相談等)https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC0000000045 ↩
-
同法 第86条(運営適正化委員会から都道府県知事への通知)https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC0000000045 ↩ ↩2
-
前掲省令 第173条の9、第184条、第197条、第202条、第206条の12(各サービスにおける準用)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩
-
同令 第89条(運営規程)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩ ↩2 ↩3
-
同令 第92条(掲示)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩
-
同令 第9条(内容及び手続の説明及び同意)https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171 ↩