障害福祉サービスの運営基準(平成18年厚生労働省令第171号)には、「押印」「署名」「記名」という語が一度も出てきません。条文が求めているのは「文書を交付して説明し同意を得る」「文書により同意を得る」「確認を受ける」「書面を交付する」であり、押印をどこに押すかは法令上の要件ではないのです1。加えて令和2年7月の規制改革実施計画を受けて、厚生労働省障害保健福祉部の通知様式からは令和2年12月25日に「㊞」「印」が削られ2、令和3年度の基準改正で第224条(電磁的記録等)が置かれて、同意・契約も電磁的方法で行えるようになりました13。
それでも現場に「捺印欄」が残っているのは、署名または押印があると民事訴訟で文書の成立の真正が推定される(民事訴訟法第228条第4項)という証拠法上の効果があるからです4。本記事では、契約書・重要事項説明書・個別支援計画・サービス提供記録・情報提供の同意・各種届出について、条文が何を求めているか/押印・署名は必要か/実務で何を残すかを一表に整理します。
全体像(場面別の一表)#
| 場面 | 根拠 | 条文が求めるもの | 押印・署名の要否 | 実務で残すもの |
|---|---|---|---|---|
| 利用契約書 | 社会福祉法第77条 | 契約成立時に書面の交付(名称・所在地・サービス内容・支払額等) | 法令上の押印義務なし。契約は意思の合致で成立し、押印をしなくても効力に影響しない45 | 双方の署名または記名・押印入りの契約書(証拠確保のため) |
| 重要事項説明書への同意 | 171号第9条第1項 | 重要事項を記した文書を交付して説明し、提供開始について同意を得る | 条文は同意の方法を指定しない。解釈通知は「双方の保護の立場から書面によって確認することが望ましい」16 | 説明日・同意者の署名(または記名・押印)を入れた同意欄 |
| 個別支援計画への同意 | 171号第58条第7項(各サービスで準用) | 計画の原案を説明し、文書により利用者の同意を得る | 「文書により」が要件。署名か押印かは指定なし。口頭だけでは不可1 | 計画書の同意欄に利用者の署名(または記名・押印)と日付 |
| サービス提供記録の確認 | 171号第19条第2項 | 記録に際し支給決定障害者等から提供したことの確認を受ける | 「確認を受ける」のみ。押印に限定されない。職員の押印は条文にない1 | 利用者側の確認(署名・押印・電磁的確認のいずれか) |
| 他事業者への情報提供の同意 | 171号第36条第3項 | あらかじめ文書により利用者・家族の同意 | 「文書により」が要件。方法は指定なし1 | 包括同意書(契約時)に署名 |
| 利用者に金銭の支払を求めるとき | 171号第20条第2項 | 使途・額・理由を書面で明らかにし、説明して同意 | 方法は指定なし1 | 重要事項説明書・同意書に項目を置く |
| 処遇改善加算の届出様式 | 処遇改善加算 事務処理手順(令和8年度) | 計画書・実績報告書の提出 | 「別紙様式について押印は要しない」7 | 押印なしで提出 |
| 通知で定める様式(就労A型の経営改善計画、就労定着支援の様式、利用日数の取扱いの様式例、業務管理体制の様式 等) | 障発1225第1号・障企発/障障発/障精発1225第1号(令和2年12月25日) | ― | 様式中の「㊞」「印」を削除。旧様式は改正後の様式とみなし、手書き訂正等で取り繕って使用可2 | 新様式または取り繕った旧様式 |
| 電磁的方法による同意・契約 | 171号第224条第2項、解釈通知 | 相手方の承諾を得て、障害特性に応じた配慮をしつつ電磁的方法によることができる | 電子メールによる同意の意思表示等。契約の締結は電子署名の活用が望ましい13 | 承諾の記録・メール・電子署名ログ |
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法令が「押印」を求めていないことの確認#
運営基準(171号)は方法を指定しない#
第9条(重要事項説明)は「文書を交付して説明を行い、同意を得なければならない」、第58条第7項(計画)は「文書により利用者の同意を得なければならない」、第19条第2項(記録)は「支給決定障害者等から…確認を受けなければならない」、第36条第3項(情報提供)は「あらかじめ文書により…同意を得ておかなければならない」と定めています。いずれも同意・確認の存在と、一部は文書であることを求めるだけで、押印か署名かは定めていません1。
社会福祉法第77条は「書面の交付」義務#
契約が成立したときに、経営者の名称・所在地、サービスの内容、利用者が支払うべき額等を記載した書面を利用者に交付する義務です。利用者の承諾を得れば電磁的方法で提供できます5。契約書への押印を求める規定ではありません。
押印についてのQ&A(令和2年6月19日 内閣府・法務省・経済産業省)#
- 私法上、契約は当事者の意思の合致により成立し、書面の作成と押印は特段の定めがある場合を除き必要な要件ではない。押印をしなくても契約の効力に影響は生じない(問1)4
- 民事訴訟法第228条第4項は「私文書は、本人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する」と定める。押印があれば本人が作成した文書と推定されるが(二段の推定)、推定は反証で破られ得る(問2)4
- 文書の成立の真正は押印の有無のみで判断されるものではなく、他の方法によっても立証できる(問3・問6)4
障害福祉の解釈通知も、電磁的方法による同意・契約について「押印についてのQ&Aを参考にすること」と明記しています3。
電磁的方法(第224条)の使い方#
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 記録・保存(第1項) | 書面で行うことが規定・想定されているものは、電磁的記録で行える(一部の条項を除く) |
| 交付・説明・同意・締結(第2項) | 相手方の承諾を得て、利用者には障害特性に応じた配慮をしつつ、電磁的方法によることができる |
| 重要事項説明の電磁的提供 | 用いる電磁的方法の種類と内容を示し、文書または電磁的方法による承諾を得る。相手方が出力して文書を作成できる方法であること。受けない旨の申出があれば電磁的方法で提供してはならない |
| 同意 | 電子メールにより同意の意思表示をした場合等 |
| 契約の締結 | 契約関係を明確にする観点から、書面における署名または記名・押印に代えて電子署名を活用することが望ましい |
実務での線引き#
- 押印廃止は「押印に代えて署名」ではなく「本人の意思表示が残ればよい」。重要事項説明・計画同意は署名と日付で足り、押印を併用するかは事業所の判断です16。
- 証拠として強いのは「本人の署名または押印」。民事訴訟法上、どちらでも成立の真正が推定されます。記名(氏名のゴム印・印字)だけでは推定が働かないため、記名なら押印を、押印なしなら自署を残します4。
- 職員側の押印は条文にない。提供記録の「確認印」欄は利用者側の確認を記録する欄で、記録者は氏名が分かれば足ります1。
- 行政への届出は、処遇改善加算の様式は押印不要が明記され、障害保健福祉部の通知様式からも「㊞」「印」が削られています。指定申請・変更届の様式は指定権者(都道府県・市)の定めによるため、各自治体の様式を確認してください27。
- 利用者が自署できない場合は、代筆者の氏名と続柄を記す、電磁的方法で同意の意思表示を残すなど、本人の意思に基づくことが後から分かる形で残します34。
よくある質問#
Q. 個別支援計画の同意は押印が必要ですか#
必要ありません。171号第58条第7項(各サービスで準用)は「文書により利用者の同意を得なければならない」と定めるだけで、署名か押印かは指定していません。署名と日付で足ります1。
Q. 重要事項説明書に同意欄がなく、説明した記録もありません#
第9条は文書を交付して説明し同意を得ることを求め、解釈通知は書面で確認することが望ましいとしています。同意の事実を後から示せないため、同意欄(署名・日付)を設けてください16。
Q. 利用者が印鑑を持っていません。記録の確認はどうしますか#
第19条第2項は「確認を受ける」ことだけを求めており、押印に限定されません。署名やタブレットでの確認など、利用者が確認した事実が残る方法で足ります1。
Q. 契約書に押印がないと無効ですか#
無効ではありません。契約は意思の合致で成立し、押印は特段の定めがある場合を除き要件ではありません。ただし本人の署名または押印があると文書の真正な成立が推定されるため、契約書には署名または記名・押印を残すのが安全です4。
Q. メールで同意を取ってよいですか#
第224条第2項により、相手方の承諾を得て、障害特性に応じた配慮をしつつ電磁的方法で同意を得られます。解釈通知は電子メールによる同意の意思表示を例に挙げ、契約の締結には電子署名の活用が望ましいとしています13。
Q. 処遇改善加算の計画書に法人印を押していました#
令和8年度の事務処理手順は「別紙様式について押印は要しない」と明記しています。押印しても差し支えありませんが、不要です7。
制度上の根拠#
- 障害者総合支援法に基づく指定障害福祉サービスの事業等の人員、設備及び運営に関する基準(平成18年厚生労働省令第171号)第9条・第19条・第20条・第36条・第58条第7項・第224条1
- 社会福祉法(昭和26年法律第45号)第77条5
- 押印を求める手続の見直しのための通知様式等の改正について(令和2年12月25日 障発1225第1号、障企発・障障発・障精発1225第1号)2
- 指定障害福祉サービスの事業等の人員、設備及び運営に関する基準について(解釈通知・令和6年度改正後)第三の1(3)、電磁的記録等36
- 押印についてのQ&A(令和2年6月19日 内閣府・法務省・経済産業省)4
- 福祉・介護職員等処遇改善加算等に関する基本的考え方並びに事務処理手順及び様式例の提示について(令和8年度)7
Footnotes#
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厚生労働省「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律に基づく指定障害福祉サービスの事業等の人員、設備及び運営に関する基準」(平成18年厚生労働省令第171号)第9条(内容及び手続の説明及び同意)、第19条(サービスの提供の記録)、第20条(利用者負担額等の受領)、第36条(秘密保持等)、第58条第7項(療養介護計画=各サービスで準用)、第224条(電磁的記録等) (https://laws.e-gov.go.jp/law/418M60000100171) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8 ↩9 ↩10 ↩11 ↩12 ↩13 ↩14 ↩15 ↩16 ↩17 ↩18
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厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長「押印を求める手続の見直しのための通知様式等の改正について」(令和2年12月25日 障発1225第1号) (https://www.mhlw.go.jp/content/000719502.pdf)、同部企画課長・障害福祉課長・精神・障害保健課長「押印を求める手続の見直しのための通知様式等の改正について」(令和2年12月25日 障企発1225第1号・障障発1225第1号・障精発1225第1号:就労継続支援A型の様式例、就労定着支援の様式、利用日数の取扱いの様式例等の「㊞」「印」削除、旧様式の経過措置) (https://www.mhlw.go.jp/content/000712891.pdf) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
-
厚生労働省「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律に基づく指定障害福祉サービスの事業等の人員、設備及び運営に関する基準について」(解釈通知・令和6年度改正後)電磁的記録等(p.255〜256:重要事項の電磁的提供の承諾、電子メールによる同意、電子署名の活用、押印についてのQ&Aを参考) (https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/001472116.pdf) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8
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内閣府・法務省・経済産業省「押印についてのQ&A」(令和2年6月19日)問1〜問6 (https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/imprint/document/200619document01.pdf) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8 ↩9 ↩10
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「社会福祉法」(昭和26年法律第45号)第77条(利用契約の成立時の書面の交付) (https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC0000000045) ↩ ↩2 ↩3 ↩4
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同解釈通知 第三の1(3)内容及び手続の説明及び同意(p.40:重要事項について文書を交付して懇切丁寧に説明し同意を得る、双方の保護の立場から書面によって確認することが望ましい) (https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/001472116.pdf) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
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厚生労働省・こども家庭庁「福祉・介護職員等処遇改善加算等に関する基本的考え方並びに事務処理手順及び様式例の提示について」(令和8年度)p.14(別紙様式について押印は要しない) (https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/126420/r8_4_syoguukaizen_jimusyoritejyun.pdf) ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5